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よい天気ですが、俄雨の予報。
先日の、利便性を追求しすぎたことが、かえってぎすぎすした社会にしているのではないかという話の続きです。
先日、僕とは違う研究所に勤務しているもうこちらに10年住んでいる日本人の研究仲間の方が、昨年末久しぶりに帰国した際に、ご両親とそば屋に入ったときのことを話してくれました。
後から注文した客に自分よりも先に注文したものが来たと、怒鳴り散らしているおじさんをみたそうです。
彼曰く、「こっちのペースに馴染んでしまうと、そんなつまらんことでってホントに思うよね。そばなんて、仮に忘れられていたとしてもまだですかって聞いてから20分も30分も待たされないでしょうに。くどくどと怒鳴りつける事無いよね。それも良い年をしてみっともなかった。そんなことでいちいちカリカリしていたら、英国では暮らせないもんね。でも、逆に日本に帰ったら、そういう大阪的に言うと”いらち”でせかせかしたペースについていけないんじゃないかと心配で、なかなか帰国する気にならないんだよ。」
彼は研究も認められ職もパーマネントのポジションを得ているので、本人がいたいだけ英国で暮らせるのでなおさらそう思うのかもしれません。
しかし、こちらで2~3年以上暮らされた日本人の方は、ほぼ例外無く、英国のペースに馴染んでしまうととても居心地が良くて、日本に帰るのが怖いとすら言う方もいますので、どうやらこういう意見は日本から英国に来た日本人が抱く共通の意見と見なして良さそうです。
今の日本は、便利になりすぎて、何も待たされない。
しかも、通信ツール(携帯)が発達したので集団で活動しなくても個人間でコンタクトが待たずに簡単にとれ、多人数で活動する必要性が薄く、チームで共通の目的を達成しようとする機会が少ない。
その結果が、あまり我慢を強いることなく社会に出てきてしまう人の数を増やし、我慢のできない大人が増え、しかもそういう人たちはえてして他人に厳しく自分に甘く、助け合い・思いやリ・感謝・寛容と言った心の余裕が社会から消失してしまったのではないかと、最近考察しています。
また、西洋的個人主義と自分勝手が混同されているのではと思う節すら有ります。
余談ですが、「情けは人のためならず。」という言葉を、「情けをかけるとその人のためにならない。」という意味だと本気で思っている大学生が非常に多いという話を聞いたことがありますが、この言葉の真の意味が忘れ去られないことを願います。
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テーマ:雑記 - ジャンル:日記
2008/07/30(水) 08:11:49 |
日英の相違
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